論文部門褒賞

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第44回 令和4年度(2022年)

論文表題:『諸国御客船帳』にみる近世の海運業
―讃岐国粟島と若狭国早瀬をめぐる海上文化史―

受賞者:河原 典史

受賞理由:

 本論説は、日本近世の海運においてきわめて重要な役割を果たした北前船を対象に、その寄港地である讃岐国の粟島、及び若狭国の早瀬という場に焦点を合わせることで、きわめて魅力的な「海上文化史」を描いています。具体的には、石見国浜田外ノ浦・清水家所蔵の『諸国御客船帳』-これは、いわば廻船問屋の得意先の客船名簿である-の綿密な分析をベースとして、粟島と早瀬における海運業の諸相が近代までのパースペクティブをもって、叙述されています。
 まずは、『客船帳』から、讃岐国から清水屋が買い受けた品(買荷)としては讃岐三白と呼ばれる砂糖、塩及び綿が顕著であり、特に砂糖の荷揚げが全国有数であったこと、売荷としては干鰯などの金肥の大量販売が特徴であることが示されています。『客船帳』が、清水屋を媒介とする広域の商品流通の諸相を、全国的・経年的に把握できる貴重な史料であることが、一般読者にとっても興味深く提示されています。
 次いで、織豊期以降の粟島における海運業の発展が、その地理的特性-砂州でつながった陸繋島(トンボロ)であること、干満差を利用して、船舶係留・修理施設としての雁木や船繰場が営まれたこと-や、統一政権と船方衆の結合をもって語られています。
 『客船帳』によれば、粟島出身の船頭が、大坂船や松前船で沖船頭として雇われており、また別の史料からは、幕府軍艦の北洋航海にも、粟島出身の士官1名とともに粟島商人2名が乗船するなど、粟島海運業者は広域かつ多様に活動していたことが判明します。
 若狭早瀬浦についても、浜田・早瀬間の売買荷の実相が、経済面のみならず文化面にも着眼しつつ描かれています。若狭特産の桐油をはじめとして、北海道・北陸で生産された昆布や干鰯など、バラエティーに富んだ産品が、市場の状況を睨みながら、早瀬の船主によって浜田へと運ばれ、他方で、若狭地方で祝魚として需要の多い塩シイラが、遠方である浜田からも調達されていました。そして、早瀬において、安政期に『客船帳』に登場する船主・岩野弥右衛門が明治期に、ロシアのウラジオストックで岩野遠洋漁業社を設立するなど、近世海運業の歩みは近代へと継承されていきました。
 そして、本論説はそのような遺産継承の面を、最後に「海の文化を継ぐ」営みとして紹介しています。明治期後半に北前船自体が衰退に向かった後も、粟島においては日本最初の地方商船学校である粟島村立粟島海員補習学校が設立され、戦後へと至りました。他方で、早瀬を含む現在の美浜町域は、明治期に太平洋を超えハワイ、アメリカ、及びカナダへの移民を送り出した地域でもありますが、そこでは、福井市出身の後藤佐織が、東京移民合資会社の設立に関与し、カナダにおいてカナダ太平洋鉄道との労働者斡旋会社たる日加用達会社を組織して中心的に活動しました。海上交通に携わった人々の子孫が、「海の向こうを知る力」を受け継ぎ、契約移民としても異国で鉄道交通を支えていたという、知られざる文化史の紹介で文章が結ばれています。
 日々の交通課題への取り組みにとって、少し立ち止まって考えることの重要性をいう「交通の歴史と文化」特集への寄稿として時宜にもかない、そして交通を中心とした学際性を重視する本学会における学会賞(論文部門)に相応しいと評価いたしました 。

論文表題:混んでいる時ほど高い料金?
―フランス鉄道の差別料金制度の文化的背景―

受賞者:栗田 啓子

受賞理由:

 この論説は、フランスにおいて都市間鉄道の時間帯・曜日別運賃が広く支持されている要因を2種類の社会・文化的側面から解明したものです。第一の側面は、フランスでは、通勤・通学客を主体とする都市内交通と、観光客を主体とする都市間交通が明確に区別されていること、第二の側面は、フランスに固有の政府のエンジニアが公共交通の価格設定や差別料金の理論化に取り組み、差別料金が社会全体の利益に貢献することが説得力を持って示されたことと結論づけています。
 本論説により、フランスの鉄道の差別料金制度は、政府エンジニアによる公平と効率の両立の2つの考え方を止揚するような目的―受益者負担ではあるが、企業収益の最大化ではなく(交通路から得られる)社会全体の利益の極大化―を持っていることが解明されました。
 差別料金制度と価格弾力性の議論は、コロナ禍で労働形態が大きく変化した日本の通勤・通学および観光において、今後の需要の価格弾力性を議論する際に基盤的な知見を与える社会的に有用なテーマです。また、フランスの鉄道整備の歴史を踏まえつつ、差別料金の理論化の流れを体系的に解明するアプローチを取っており、学際的である上に、交通経済学の解説としても優れた特徴を備えています。さらに特筆すべきは、論旨がきわめて明快で分かりやすいことです。
 このように、この論説は、きわめて優秀であると評価いたしました。

論文表題:International and intercultural differences in arguments used against road safety policy measures

受賞者:Wouter Van den Berghe, Nicola Christie

受賞理由:

 交通安全分野の政策(policy)施策(measures)は、いくつかの理由から容易には実施できない場合や、予想される高コストや世論の低支持を理由に政策立案者が実施に消極的な場合があります。ここでは、このような交通安全政策施策に対する支持・不支持の要因分析をするために、特徴の異なる10カ国(中国、米国、英国、ベルギー、オーストリア、スウェーデン、ギリシャ、フランス、ナイジェリア、アルゼンチン)で調査を実施しています。
調査は、回答者に対して10種類の交通安全施策が提示され、それを支持するか反対するか、その意見はどのような論拠に基づいているか、その対策が個人に及ぼす影響は何か、といった項目を質問し、調査結果を要因分析しています。
 本論の構成は、第1章として従来知見に対してレビューがされており、交通安全の政策施策に対する支持要因、世論分析を広く取り上げ、施策への支持が国ごとに異なり、性別や年齢層で整理した際にある傾向を得る程度の検証に留まっていることから、本論でのより具体的な施策の支持・不支持の要因分析の必要性に至る経緯が説明されています。第2章では、調査項目の設計において、政策論争が巻き起こる施策を10種類取り上げることで、様々な道路利用者を対象として様々な種類のトレードオフを網羅し、利害の回避、自由、公平や責任などの倫理問題、特定の利害関係者からの反対や健康増進・事故減少と移動制限の間のバランスや妥協点、社会全体の利益と個人の制約の間の論争といった点から要因分析が出来るように工夫されている本論アプローチの特徴を説明しています。第3章の調査結果の分析では、全体的な知見として各政策手段への支持傾向、交通安全に関する見解との関連、運転行動との関連について相関を示すとともに、施策の反論に対するラベリングから「移動の制限」、「差別」ならびに「国家介入の不当性」という項目が支持に対して強い負の相関を示していることに言及しています。第4章では、この3つの反論を深く掘り下げ、第5章では、前章の反論の分析を受けた形で、政策の支持者と反対者の見解の相違について 3つの具体的施策「ISA:自動最高速度制限システム」、「自転車のヘルメット着用義務」および「高齢者の移動制限」を取り上げて、各施策への反論の要因分析を試みています。第6章では、議論を総括し、政策への支持・不支持に対しての論理構造を整理しています。例えば、国民からの支持率が低い場合、政策立案者が新しい規制などを施行しづらい場面では、平素から適切な情報提供、教育、啓蒙活動を通じて見方を正すことで、政策手段に対する国民の支持を高める事に繋がるなどが示唆されています。
 このように、本論は、政策に対する具体的な反論と対策への支持・不支持との関係が示されるなど、興味深い内容であり、例えばヘルメット着用は、年齢などの属性に加えて、態度や考え方などを考慮する必要性を示すなど、今後、政策立案者が対策を展開する際に有用な結果も示されています。多様な国々および地域を比較することで、多様性の中での交通安全施策の実施に繋がる国際的かつ学際的な知見を含んでおり、優れた論文であると評価いたしました。

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